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しましても何の益にもならないと思いますし、もう皆さんよくご存じの方ばかりだと思いますので、それは避けることにします。したがって、官房学やアメリカ行政学の起源のお話をしても何もならないと思いますので、やめておきます。
では我が国で行政学がどのように受容されてきたのかということだけをちょっとお話しして、現在の教育の動向の話をしたいと思います。
一般的によく言われる我が国の行政学の発展過程ですが、これは辻先生の有名な三区分というのがあります。いわゆる明治期が創始期といいますか初期の段階である、それから戦前の復活期を経て、戦後の発展期を迎えるという辻先生の有名な区分方法です。
そのいわゆる創始期に区分されるもの、これはご存じのように明治10年代に早くも国立大学の講義として行政学が出てくるわけで、東大をはじめ各帝国大学で行政学の講義が始まるのは大体明治10年代。これがいわゆる「創始期」と呼ばれる時期です。そのときどういう講義がなされたかという詳しい話は時間の制約もあっていたしませんが、その担当教授がラードゲンというドイツの人であるということは、皆さんご存じのとおりです。ところが10年足らずで行政学の講義はなくなることになるわけです。それはご存じのように大日本帝国憲法、それから帝国議会という中で、いわゆる法律学の需要が急速に高まってくるということです。したがって各種法典の整備が進む中で、行政学はどちらかというと法律学の中に埋没をしていって、やがてなくなってしまうと、こういう運命をたどるわけです。
それが復活をする。そこが辻先生の言う「復活期」に当たるわけですが、いろいろな先生の議論がありますが、この間日本の行政学が全く絶えてしまったわけではない。いろいろその必要性は至るところで言われていたということでは争いのないようです。しかし今日は大学におけるということですから、大学の講義に復活するということになりますと、約30年の月日が必要になるわけです。1921年に行政学の講座が東京、京都の両帝国大学で開設されます。そこにあらわれてくるのが、ご存じのように東大の場合には蝋出先生であり、京都大学の場合は田村先生です。そしてその両先生の講義が復活した行政学を支えるという系譜が復活期ということです。辻先生はこの期を指して、「蝋山、田村両教授の行政学は創始期の行政学と異なって、20世紀に発展した欧米の行政学や、これに関連する社会科学の分野の成果を摂取しながら構築された業績であり、戦後に開花した日本の行政学への系譜からいえば、むしろその真の創始者であるといっても過言ではない」ということで、非常にこの時期の重要性を言うわけです。どちらかといいますと復活期ということで

 

 

 

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